Q.
結婚して40年、夫婦で第二の人生を楽しむはずが、十分な蓄えもなく、少ない年金で「楽しむ」なんてとんでもない状況です。75歳を過ぎた夫の様子に「認知症?」って思うことも。二人で有料老人ホームに入る余裕はないし、夫だけ老人ホームっていうのは世間体もあるし、夫も拒否するだろうし…。私が夫の介護をするっていうのが現実的と思いますが、若いころは「夫が死ぬまで面倒を見る」って思っていたのに、そういう状況が迫ってきたら、積年の恨み辛みで夫に対する気持ちが冷めたのか「絶対無理」って思います。どこかに行ってしまいたいと思い、本当に荷物をまとめたりしている自分がいて、ぞっとすることもあります。この気持ちをどう収めて生活していったらいいんでしょうか。
A.
長寿社会になると当然、「介護」のことが問題になります。厚生労働省の調査では要介護認定者数は、632万人(令和3年)で、全世帯の約1割に介護が必要な人がいることになります。女性の地位向上が叫ばれる今でも、介護は女性の役割と考えられていて、自分の両親はもちろん、夫の両親を介護して看取り、次に夫の介護をするという順で介護を担い(夫婦は大方、夫が年上でしかも男性は寿命が短く女性が長いので)、その上孫の世話までする人もいます。娘、嫁、妻、祖母の役割を一人ですべて抱え込んでいるのです。もちろんそれなりに仕事もしつつです。あなたも「若いころは「夫が死ぬまで面倒を見る」って思っていた」、まだ愛が豊かにあったのでしょうね。ところが「積年の恨み辛み」で愛は冷め、「絶対無理」と。どこかに行ってしまいたいと荷物をまとめている自分に「ぞっとする」こともある。でもそれが今のあなたの正直な気持ち。
その気持ちを収めるには選択肢は3つ。1つは、あなたの世間体も保ててあなたが実際に夫の排泄などの世話をしなくてすむように、公的介護保険制度を限度額まで活用することです。ただし、費用が公的なものだけでカバーできないので、その捻出を覚悟してください。2つ目は、介護が始まる前から「絶対無理」と思っているのは積年の恨み辛みがあるからで、その源となっている夫婦関係の溝を埋める努力をするという人生最後の大事業に取り組むことです。夫婦間の最終的な気持ちを示す場、見返りを要求しない愛を示す場が「介護」という場所ですから、あなたの夫への感謝や愛が薄れた状態では「介護」に寄り添えないのは当然のことです。結婚生活40年という長い日々で、夫からねぎらいの言葉をかけてもらえなかったことに始まり、家事、育児、仕事、更年期のころのつらさ等々。そういう状況を理解してくれなかった夫。まだそれらのことを理解してくれる可能性の残っている今、何日かかけて40年の恨み辛みを話してみてください。今の状態を放置したままでは、夫婦の溝は深まるばかりです。旅行にでも出かけてリラックスしたときに話をするのもいいでしょう。もし何の反省、反応もないようなら諦めをつけて、3つ目の方法、夫が拒否するのを覚悟して、老人ホームへ入所させるしかないでしょう。
夫がまだ理解力がある間に、まず40年の溝を埋める大事業に着手してください。