Q.
テレビドラマみたいな「燃えるような恋がしたい」って思うんです。「人間は愛がすべて」って思ってたんですよ。でも、あと少しで結婚っていう恋愛を何度か経験して「燃えるような恋」なんてあり得ないんだって分かりました。ドラマの中の「燃えるような恋」って、不倫だったり、大きな障害があったりする恋愛が多くて、普通の恋愛じゃないですよね。私の場合、女を人間扱いしない男とか、私に頼りっきりで何もできない男とか、そんなやつばっかり。それって案外普通ですよね。誰かに仲介してもらったら、少しはましなやつと結婚できますかねぇ?私の周りもそういう友達が多いのでそれでいこうかなって思うんですけど、でもやっぱり「燃えるような恋」もしてみたい気もするし…
A.
「結婚とは何か」「愛とは何か」「愛は幸せをもたらすか」という問いに答えがほしいというわけですよね。私の答えは「悩みなさい」です。人はそれぞれ違った価値観を持っていて、正解はありません。誰かを真似るのでなく、あなた自身で答えを出すしかないんです。
あなたが憧れる「燃えるような恋」は昔からありました。中世のヨーロッパでは富を生む土地をめぐって王侯貴族たちが政略結婚を繰り広げ、抗争や戦争に明け暮れていました。12世紀頃、トルバドゥール(吟遊詩人)が歌い上げた騎士道的情熱恋愛に起源を持つとされているのが「恋愛」という文化の始まりです。政略結婚の夫婦間で「恋愛」はあり得ず、それに反発した騎士たちは純粋で熱烈な恋愛を賛美しました。恋愛はそもそも結婚制度に相対するものでした。現代では既婚者の9割が「恋愛結婚」をしているつもりだそうです。
「燃えるような恋」の特質は、1つ目、「何か障害があって結婚を許されない男女の恋物語」という面がある。2つ目、肉欲が否定されるわけではないが安易に充足されてはならず、何にも増して精神性が重視される。セックスを至上目的とする付き合いは「遊び」であって「本気」の恋愛ではなく、ましてや「純愛」ではないとされます。3つ目、恋愛は一方的な崇拝ではなく、男女間の相愛性に立っていなければならない。短期間の付き合いとお気軽なセックスが行われている現代だからこそ、あなたのように「燃えるような恋」が輝きを放っているのでしょうか。
江戸時代、男は真剣な恋などせず、遊女を相手に遊ぶのが粋とされていましたが、本気でのめり込む崇高な恋愛になった末、心中するという実話は浄瑠璃などの題材にもなっています。源氏物語の中にも「身を滅ぼすような燃える恋」をした男女の話は残っていますし、99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんが「一人娘を残して好きな男性の元へ走った自分」を赤裸々に語ったり、本に書いたりしています。
「燃えるような恋」は「道ならぬ恋」とされ不道徳の烙印を押されます。それを二人で乗り越えて初めて「純愛」と認められるのです。恋の炎で自らを焼き尽くす覚悟が必要です。「男女の恋の決算書はあくまでフィフティフィフティ」「人は人を愛していると思い込み実は自分自身だけしか愛していない場合が多い」(寂聴さんの恋愛名言集)。迷って迷って燃える恋に身を焼き尽くすもよし、平穏な結婚をするもよしです。