Q.
やっとテレワークのうっとうしさから解放されたと思ったら、またテレワーク。
長時間一緒にいることがこんなに苦痛とは…。
一緒にいる時間は、ただ耐えてるって感じだったんです。
一緒にいたい時だけいるっていうのが一番なんだっていうことですよね。
ほとんど外に出ることもないので、一緒にいても共有できる話題がない。
TVとかビデオとか観ても価値観が違う。
何を観るかで意見が違うし、観たあとの感じ方も違うんで、言い合いになることも多いんです。
結婚して10年、いまさら価値観の摺り合わせでもないし…。
子どもがいれば違うんですかねえ?とはいえ、この状況で子どもを作るのもねえ…。
A.
「一緒にいたい時だけいるっていうのが一番」と夫との関係と距離を確認したとのご相談です。
緊急事態宣言が出される中、
何組もの夫婦や個人が自分たちの関係性や、自分たちは一体何をしたかったのかなどの問いに向き合っています。
多かれ少なかれ、テレワークの中で誰もが「Who am I?」(自分は一体何者なんだろう?)
「Where am I going?」(自分は何のために生き、この先どんな人生を送っていくのだろう?)
と自分自身の内面に目を向けるようになっています。
本来、この自分への問いかけは「第2の誕生」と言われる心身両面で子どもから大人へ劇的変化がある「青年期」に起こり、
身体の急激な変化に心が追いつかず、周囲もそれまでの子どもに対する扱いを徐々に変えていくので、
そうした態度や期待の変化に自分が自分でなくなるような不安を感じたり、イライラしたりします。
こうした身体的変化と社会的変化の中で「自分は他者とは違う唯一無二の存在である」ことを意識するようになり、
「自我同一性」(アイデンティティ)を確立していくのです。
この青年期の発達課題を、今私たちはコロナ禍の中で突きつけられているのかもしれません。
あなたが結婚の理想型として挙げている「一緒にいたい時だけいる」という生き方を厳格に貫いたのが、
世界的に著名な哲学者で文筆家のシモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908-86)とジャン=ポール・サルトル(1905-80)です。
ボーヴォワールとの結婚生活は入籍もせず、同居もせず、「一緒にいたい時だけいる」という生活でした。
ボーヴォワールとサルトルは2人で世界中を講演して回っていますが、
早稲田大学大隈記念講堂での講演でもその話に触れていたのを聴衆のひとりだった私も憧れを持って聴いていました。
そんな2人であっても小説や評論の中には「一緒にいたい時だけいる」夫婦の形が理想ばかりではなく、
時にはお互い嫉妬に苦しめられたり悩んだりする様子が描かれています。
あなたは冒頭「テレワークのうっとうしさから解放されたと思ったら、またテレワーク」と言っています。
でも、「うっとうしい」のはテレワークではなく「結婚10年の夫」ですよね。
「今さら価値観の摺り合わせでもない」と言っていますが、ぜひ今、その摺り合わせをなさってみてはいかがですか?
本来、異性が一緒に生活するために必要な「価値観の一致」がこれまで欠落していたことでしょうから。
コロナ禍で別居婚を同居婚に変えたカップルもいます。