Q. 私は〝愛〞って〝相手に尽くすこと〞だって思うんです。たとえ相手から裏切られたとしても…。私の彼は、あんまり自分のことを話しません。家族があるような気もします。友人に彼の話をすると「それって絶対不倫だよ」って言います。私は、男の人と付き合うの初めてだし、友人の言うことが正しいかわからないけれど、当たっているような気もするし…。でも、私はそれでもいいと思う。だって、〝愛って尽くすこと〞だって思ってるから。結婚するだけが愛じゃないと思うし。「騙されてるんだよ」って言われるんですけど、私がいいと思っていたら騙されてるわけじゃないし、彼がだましていることにもならないですよね。
A.
あなたの恋愛には何の問題もありません。あなたは、彼が今どういう立場の人であろうとも、彼に妻子があろうとも、彼を愛し尽くしたいとおっしゃっている。そのあなたの気持ちが真実ならば、それこそまさに人類が探し求めてきた「愛」そのものです。
お互いがお互いを想い、必死で愛し尽くし合おうとしても、家と家との確執やほんの少しタイミングが狂ったことから悲劇に終わるロミオとジュリエット。その時代から相手を騙したり裏切ったりするつもりはなくても、男女の真実の「愛」は、成就しがたいものでした。だからあなたは今の自分の愛に確信が持てず、友達や私に相談していらっしゃる。本当は、不安で心配なんですよね。それでいいと思います。人は、騙されてもいい、裏切られてもいいと思って人と出会い、愛し始めるわけではなく、人にはわからないそれぞれの複雑な事情が絡んで嘘をつかなければならなかったり、結果として「裏切った」という形になってしまって苦しむわけです。
初めて愛した彼が、もし誰かの夫や誰かの父であったとしても、あなたは彼との出会いを運命と受け止めて尽くしていこうとお考えなのですから、その愛を「私の真実の愛」として尽くしてみてください。当然のことながら、不安や心配、時には嫉妬に身のよじれるような葛藤で「愛って何?」と自問自答を繰り返すことになるかもしれません。
「真実の愛とは何か」という問いに私たちは答えを見つけようと必死で生きてきました。そしてその葛藤が「愛」の形として文学や芸術となって人々の心に感動を呼ぶのです。あの不朽の名作「ローマの休日」は、オードリー・ヘップバーン演ずるアン王女の「嘘」で始まり、嘘に気づいたグレゴリー・ペック演ずる新聞記者ジョー・ブラッドリーが、その嘘に乗って、逆に王女を騙しスクープ記事を書こうとする物語です。結婚できるはずもなく、再び会うこともない二人の〝愛〞ではあるけれど、ラストシーンでは多くの人が「真実の愛」を感じて感動するわけです。「最も印象に残った訪問地は?」という記者の質問に、一瞬躊躇した後「いずこも忘れ難く善し悪しを決めるのは困難…」と言いかけて「ローマ、もちろんローマです」と言うアン王女。王女が去った後、一人会見場に残ったジョー・ブラッドリーが会見場を去って行くシーン。その靴音が印象に残っている方も多いはず。成就しない愛でもそこに「真実の愛」があるかもしれませんよ。
リニューアル新連載
【男と女のQ&A】~恋愛編~case06
2014年09月04日 〝愛〞ってなんですか?
取材協力 臨床発達心理士 大関洋子先生
浦和カウンセリング研究所所長
プロフェッショナル心理カウンセラー
上級教育カウンセラー
1941年生まれ。埼玉大卒業後、高校で国語・音楽を教える。
結婚、出産、男女の共生等の話題で新聞・TV・雑誌等にも登場。
著書「この子たちを受けとめるのはだれ?」好評発売中!